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2014年6月12日木曜日

6月 追加武将 列伝・考察 特 前半 ( *゚Д゚))フムフム

生没年不詳
大友家臣の吉岡鑑興の妻。
吉岡妙林、吉岡林子とも呼ばれる。

夫の鎮興が耳川の戦いで戦死したため、
夫を弔うために出家し、妙林尼と称した。

<鶴崎城攻防>
1586年、九州制覇を目指す島津氏は大友領に侵攻し、鶴崎城に迫った。
城主は吉岡鎮興の子・統増であったが、宗麟に従って城から離れていたため、
鶴崎城の指揮は母親であった妙林尼が取った。

若い兵は統増が連れて行ってしまったため、
城内及び周辺には老人の家臣・農民・女・子供しかおらず、
戦力的にも降伏するのが妥当な選択肢であったが、
城を明け渡す事を由としなかった妙林尼は籠城を決意し、
急いで農民に家から板や畳を持ち寄らせると、
それを材料に城の周りに砦を築き、
また農民に鉄砲の使い方を教えるなどして決戦に備えた。

島津軍は、妙林尼が周到に準備した罠と鉄砲を巧みに使用した奇策に
次々と嵌り、大苦戦。
妙林尼率いる吉岡軍は計16度に及ぶ島津軍の攻撃を退け、
なおも籠城を続けた。
なかなか城を落とせない島津軍は、ついに和睦を提案。

<寺司浜の戦い>
1587年、豊臣秀吉の島津討伐に際し、
鶴崎城周辺にいる島津軍に撤退命令が出ると、
妙林尼は一計を案じ、祝賀と称して島津軍に酒を飲ませた。
妙林尼は、酒に酔い、千鳥足でゆっくり撤退する島津軍に
奇襲攻撃を仕掛け、
白浜重政、伊集院久宣ら大勢を討ち取った。

寺司浜の戦いの翌日、
妙林尼は討ち取った島津の63首を臼杵城の宗麟に送った。
その武勲を聞いた秀吉は感心し、
是非会いたいと申し出たが、妙林尼は断わったという。
その智略と武勇は今なお地元では語り草となっている。


2コスト2080の良コスト比
防御成長18
初期値は低いが軍師適性もあり。

使える防御カードですね。

砲の適性が低いのが残念だが、砲で使っても悪くない。

適性で一番良いのは馬。
精鋭騎馬ならA
赤備えならAB

2コストの馬軍師は貴重なので、
思い切って馬軍師で育てるのもあり!
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